先日、大河ドラマ『どうする家康』が最終回を迎えました。
最終回に登場した、南光坊天海役を、前回の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で主人公・北条義時役を演じた小栗旬さんが演じ、異例の2作連続大河ドラマ出演として話題になりました。
南光坊天海といえば、徳川家に仕え、徳川幕府を支えた天台宗の僧であります。
歴史好きの方々なら聞いたことが有ると思いますが、この天海にはある仮説が立てられています。それは、
明智光秀といえば、仕えていた織田信長を本能寺の変で討ち取り、その後山崎の戦いで羽柴秀吉らに討たれ亡くなったとされている人物であるが、この説が本当であれば、この山崎の戦いで討ち取られずに生き延びたという事になります。
この説が唱えられる所以がいくつかあるのでご紹介します。
①日光東照宮に桔梗紋
徳川家康が祀られている事で有名な日光東照宮ですが、そもそも家康は死後、日光東照宮ではなく久能山東照宮というところに祀られます。その後家康の遺言もあり日光東照宮へ改葬されますが、そらに携わったのが南光坊天海と言われています。ここから、天海と日光東照宮の関係の深さが分かりますが、なんと日光東照宮の陽明門にある随身像の袴や建物に、明智家の家紋である「桔梗紋」が使われているのです。よく織田家の木瓜紋と見間違えているだけとの声もありますが、桔梗紋に見えなくもないです。
②「明智平」の謎
日光東照宮の近くにある「明智平」という地名。その名付け親が天海であるという説です。その際に「明智の名を残す」と発言したと。定かではなく、ただの伝承であるともされていますが、謀反人である明智の名を後世まで残すというのは、当時としても疑問が残ります。
その他にもいろいろな理由があります。
春日局が天海に初めて会ったときに「お久しぶりです」と言ったとか。
ちなみに春日局の父は斎藤利三という、明智光秀の重臣であった方です。
あくまでも説なので、もちろんこれを真っ向から否定している方もおられます。
でも歴史ってロマンがあった方が面白いと私は思うんです。
説でもいいんです。それも含めて歴史を学ぶのが私は好きです。
他にもいろんな説がありますよね。聖徳太子は実在しなかった説や、義経=チンギスハン説とか。本当かどうかなんて誰にも分りません。そこが面白いんです。そう私は思います。